錦織選手がラケット投げたことで考えたこと。


我らが錦織選手がラケットを折ったシーンが話題になっていて、それに関してネット上で色んな意見が上がっています。ちょっと分けて考えてみようと思います。まず要素としては、そもそもの判断基準が、道徳的な理由にあるのか?それとも勝利至上主義にあるのか?で分けられると思います。そしてそれぞれに投げても良い・投げたらダメという結論があります。投げても良いというのはニュアンス的に違うかもしれませんが、ごく稀にどうしようもなくなった時にはしょうがないくらいの意味合いです。

この4パターン!!

道徳的理由 ×投げたらダメ・・・大正論!!反論無理!!
道徳的理由×投げても良い・・・従来の我慢至上主義メンタルに異論がある
勝つことが大切×投げても良い・・・メンタル的に切り替えがきく場合もある
勝つことが大切×投げたらダメ・・・メンタル的我慢が大切

道徳的理由 ×投げたらダメ・・・大正論!!反論無理!!

基本はこれです。問答無用!大正論ですので反論不可能です。

道徳的理由×投げても良い・・・従来の我慢至上主義メンタルに異論がある

我慢することばかり学んで小さくまとまってはいけないという考えが背景にあります。ラケットを投げる行為は、良くないことに違いないのですが、どこか100%頭ごなしに否定できないということでしょうか。

勝つことが大切×投げても良い・・・メンタル的に切り替えがきくこともある

こういう考え方の代表がマッケンローでしょう。今のジュニア達は知らないし、私も現役時代はほぼ知りません。ですが試合中に怒鳴り散らし、ラケットを叩きつけ、それでも怒ることで気持ちを切り替えて数々のタイトルを勝ち取った選手です。

勝つことが大切×投げたらダメ・・・メンタル的我慢が大切

メンタルを乱してしまうとテニスは絶対的に不利。ラケットを投げることでメンタルを回復させることができる天才的な選手はほとんどいない。イライラを我慢することを学ぶこともテニスを通じて学べることの一つです。

フラストレーションが溜まることもテニスの一部。経験して減らしていこう!!

一番上の正論はとても大切で基本的にはこれでOK。そしてこれ以外の三つの意見は、テニスというスポーツを考える上でとても参考になる意見だと思います。どうしてもテニスにはフラストレーションが溜まる時があります。それはオンコートでの起こっていること(ショットがうまくいかない)やオフコートで起こったこと(試合前に親と喧嘩した)に起因します。フラストレーションをどのように処理するかも勝つためにはとても大切なことです。正論ばかりを口にすると、ラケットを投げる行為をゼロにしなければならないという結論になる。でも興奮することもテニスの一部なので、ゼロにするということでなくで、減らすという考えを取る必要があると私は考えます。減らすための手段として、『ラケットを投げる』という行動に出てはいけないということです。

スペイン留学中の思い出

スペイン留学中、選手に『ラケットを投げるな!!』といつも注意していたコーチが、自分が練習でうまくいかないとラケットを投げそうになっていましたが、なんとか堪えていました。日本だとありえない行為ですが、ジュニア選手達もそれを笑って見ています。『なんやねん!俺には投げるなって言っておいて自分はええんかい!』って怒る選手はいなくて、みんな爆笑しています。興奮することもテニスの一部です。もちろん今回の非紳士的な行為は良くありません。ですが、色々と考える良いきっかけになりました。世界のトップで戦うプレッシャーはわかりようもありませんが、これからも応援し続けようと思います。

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